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珠光・紹鴎・利休

茶道は、
室町時代に村田珠光によって始められ、
武野紹鴎を経て、
千利休によって完成されたものです茶道部~茶わん~



村田珠光(じゅこう)(1423-1502・80歳)  室町中期の茶人
・侘び茶の開祖
・奈良出身の僧侶で一休の弟子
・茶の湯の改革を志し、
 仏法も茶湯の中にあるのを悟り、世俗化した闘茶を改め、
 能阿弥によって整えられた茶の湯に精神的な基礎を与え、
 足利八代将軍義政の茶道師範となる。
・人間としての成長を茶の湯の目的とし、茶会の儀式的な形よりも、茶と向き合う者の精神を重視した。

 
武野紹鴎(じょうおう)(1502-1555・54歳)
・侘茶の中興の祖
・父の代に、泉州堺に移り住み、皮革業を営み、堺の豪商となった。
・村田珠光の茶風を継いで、茶の湯のさらなる簡素化に努めた。
・珠光が説く「不足の美」(不完全だからこそ美しい)に禅思想を採り込み、
 高価な名物茶碗を盲目的に有り難がるのではなく、
 日常生活で使っている雑器(塩壷など)を茶会に用いて茶の湯の簡素化に努め、
 精神的充足を追究し、“侘び”を具体的に表現した。


千利休(1522-1591・70歳 ) 
・紹鴎の晩年の弟子の一人。
・幼名は田中与四郎、後に法名宗易、晩年は利休の居士号。
・先祖は田中姓で、代々足利将軍に仕えていた。
・祖父の田中千阿弥が、応仁文明の乱の難を逃れ堺に住む。
・父の田中与兵衛が、姓を変え千与兵衛と名のり、魚問屋と倉庫業を営み、一代で巨富を築く。
・大阪堺の魚問屋『ととや』に生まれる。
 当時の堺は貿易で栄える国際都市であり、京の都に匹敵する文化の発信地。
 大名に支配されず、商人が自治を行ない、周囲を壕で囲い警備させる、小さな独立国となっていた。
 多くの商人は優れた文化人でもあった。
・16歳で、店の跡取りとして品位や教養を身につける為に北向道陳について茶を習い始める。
 (道陳は、堺において武野紹鴎と並び称された茶人。)
・18歳で、道陳の紹介で武野紹鴎のもとへ弟子入り。
・23歳で、最初の茶会を開いた。
・50歳で、信長の茶頭、その後秀吉の茶頭となる。
  活力に湧く自由都市堺に目をつけた信長は、圧倒的な武力を背景にして、
  堺を直轄地にし、軍資金を差し出させ鉄砲の供給地とし、
  許可を与えた家臣にのみ茶会の開催を許し、武功の褒美に高価な茶碗を与えるなど、
  あらゆる面で茶の湯を利用した。
・63歳で、秀吉が天皇に茶をたてた禁裏茶会を利休が取り仕切り、天皇から「利休」の号を賜った(それまで宗易)。
  秀吉とは、茶の湯の最盛期となった「北野大茶湯」をピークとして、徐々に歯車が噛み合わなくっていく。
  秀吉は貿易利益独占の為、堺に対し税を重くするなど圧力を加え始め、独立の象徴だった壕を埋めた。
  茶の湯に関しても、秀吉が愛した黄金の茶室は、利休が理想とする木と土の素朴な草庵と正反対のもの。
・64歳で、秀吉の怒りにふれ、追放命令を受け、切腹の申し渡しがあり
  理由は、例の大徳寺山門木像事件とか、道具の売買に不正を働いたとか、
  秀吉が利休の娘を側室に所望したのを拒んだからだとか、
  利休と仲の悪かった石田三成が秀吉に何か告げ口をしたとか、
  秀吉と利休の美意識の対立が感情的な対立を生んだとか、諸説あり。
・公式に開いた最後の茶会の客は家康(切腹の1ヶ月前)。
・70歳天正19.2.28 自害。
 千家では利休切腹の1ヶ月後を命日としており、利休忌
 表千家は、3月27日、裏千家では3月28日に大徳寺で追善茶会を開いている。

利休の茶の湯は400年後の現代まで残り、多くの人がくつろぎのひと時を楽しんでいる。
 
 利休が設計した二畳敷の茶室『待庵たいあん』(国宝)は、限界まで無駄を削ぎ落とした究極の茶室。
 彼が考案した入口(にじり口)は、間口が狭いうえに低位置にあり、
 いったん頭を下げて這うような形にならないと中に入れない。
 しかも武士の魂である刀を外さねばつっかえてくぐれない。
 一度茶室に入れば人間の身分に上下はなく、茶室という小宇宙の中で「平等の存在」になるということ。

 利休の死から7年後、秀吉も病床に就き他界する。
 晩年の秀吉は、短気が起こした利休への仕打ちを後悔し、
 利休と同じ作法で食事をとったり、利休が好む枯れた茶室を建てさせたという。

 利休の自刃後に高弟の古田織部が秀吉の茶頭となった。
 秀吉が没すると、織部は家康に命じられて2代徳川秀忠に茶の湯を指南したが、
 織部の茶が高い人気を集め始めると、かつての利休のように政権に強い影響力を持つのを家康は恐れ、
 大阪の陣の後に織部が豊臣方と通じていたとして切腹を命じた。
 利休、織部に切腹命令が出たことは茶人たちを萎縮させた。
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